妖怪・都市伝説

貧乏神とは?正体や発祥の地は?貧乏神神社があるって本当?

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「貧乏神」とは誰しもが敬遠する神様の1人ですが、貧乏神について詳しく知っているという方は案外少ないのではないでしょうか。

今回は貧乏神の正体や発祥の地など基本的な事からしっかりとご説明いたします。

貧乏神神社があるの?という疑問にも触れていきますよ。

「貧乏神」とは

「貧乏神」とは、とり憑かれてしまうと金銭などはもちろん心身共に貧乏になってしまうという神様です。

取りついた本人だけではなく、家族などの周囲の人にも被害を及ぼすため疫病神などと並び「誰もが敬遠する神様」の1人となっています。

読み方は「びんぼうがみ」です。

その姿は薄汚れた着物を着ているやせ細った老人として描かれることが多いです。

その手にはウチワを持っている事も知られていますね。

家にとり憑く場合は好んで押し入れの中に住むと言われています。

「貧乏神」の正体は?

数多くのイラストや浮世絵に描かれているのは「男性の老人」ですが、実は貧乏神の正体は女性の神様であると言われています。

貧乏神の正体は「黒闇天(こくあんてん)」と呼ばれる女性の神様で、福を招くとされる美人の神様「吉祥天(きっしょうてん)」の妹なんですよ。

吉祥天が家を訪れた男性が、盛大にもてなしをしていた所に妹である黒闇天が訪れます。

男性は黒闇天が貧乏神であることを知り追い出そうとしますが、その結果貧乏神だけではなく姉である吉祥天まで家を出て行ってしまったという話が仏教の仏典である「涅槃経」に書かれています。

幸福と不幸は紙一重であるという事を私たちに教えてくれているんですね。

「貧乏神」発祥の地

貧乏神自体は神様として仏典に記載されており、その発祥の地は定かではありません。

ですが「貧乏神」という言葉は室町時代の京都の文書記録にその名前が記されているそうです。

奇しくも応仁の乱で荒廃していた時代の記録なので、町の復興を望む人々の心の声が「貧乏神」という言葉を生んだのではないでしょうか。

「貧乏神神社」があるって本当?

「貧乏神神社」

長野県飯田市に「貧乏神神社」は実在します。

1998年に建立され、メディアなどにも数多く登場している人気の神社なんですよ。

この貧乏神神社は「お願いをする場所」ではなく「自分の心を清めて弱い心を叩く場所」と言われています。

〒391-0013 長野県茅野市宮川
0120-722-057

牛天神の境内 「太田神社」


また東京文京区にある「太田神社」にも貧乏神を祀る祠が存在します。

太田神社・高木神社は牛天神の境内にあり、芸能の神・天鈿女命(あめのうずめのみこと)と道の神・猿田彦命(さるたひこのみこと)の御夫婦と宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りしています。

参拝し、この祠に願掛けをすると一度貧乏神がとり憑くとされており、満願となる21日目に丁重に祀り送り出すことで貧乏神とすっぱり縁が切れるんだそうです。

牛天宮北野神社
〒112-0003  東京都文京区春日1-5-2
03-3812-1862

太田神社の御由緒
昔々、小石川の三百坂の処に住んでいた清貧旗本の夢枕に一人の老婆が立ち、「わしはこの家に住みついている貧乏神じゃが、居心地が良く長い間世話になっておる。そこで、お礼をしたいのでわしの言うことを忘れずに行うのじゃ…」と告げた。
正直者の旗本はそのお告げを忘れず、実行した。すると、たちまち運が向き、清貧旗本はお金持ちになる。そのお告げとは─
「毎月、1日と15日と25日に赤飯と油揚げを供え、わしを祭れば福を授けよう…」
以来、この「福の神になった貧乏神」の話は江戸中に広まり、今なお、お告げは守られ、多くの人々が参拝に訪れている。

まとめ

忌み嫌っている貧乏神が実は神様で、その姉が招福の神様とは驚きですね。

幸せだけ、苦労だけがやってくるのではなく、楽あれば苦ありという言葉の通り、どちらも平等にやってくるという仏教の教えから広まった神様なのではないでしょうか。

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