※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
「中庸」は、ビジネスパーソンが学ぶべき教養の一つとして注目されている言葉です。
今大河ドラマで有名な渋沢栄一も、「中庸」の思想を実業に活かして成功したと言われています。
何かと話題に登ることも多いこの「中庸」ですが、難しい話題ではなく、日常的にも使われることのある言葉です。
ぜひ意味を理解しておきたいですね。
今回は、「中庸」の意味と使い方!「中庸の徳」とは?わかりやすく解説!【例文】についてご説明いたします!
「中庸」の意味
「中庸」は「かたよることなく、常に変わらないこと。過不足なく調和がとれていること」という意味です。
「ちゅうよう」と読みます。
「庸」という字が、普段あまり使わない漢字だと思いますが、これは「用いる」「偏らない。ふつう」「疑問・反語を表す助字」などの意味を持つ漢字です。
「中庸」は、かたよらないで真ん中にいるというイメージです。
どちらにもかたよらないで常に変わらないでいるさま、過不足がなく調和がとれた状態であることを表す言葉です。
「中庸」の語源
「中庸」は、もともと儒教の言葉です。
孔子を祖とする中国の教説である儒教の、中心的な概念の一つとして重要視されています。
儒教を学ぶ際の四書の一つのタイトルでもあります。
「中庸」という言葉は、『論語』の中で「中庸の徳たるや、それ至るかな」と書かれています。
「中庸」は、孔子が最高の徳として説いた概念なのです。
「中庸の徳」とは?
「中庸」は孔子が最高の徳としたものです。
「中庸の徳」という言葉が有名で、講演やビジネス書などでもよく挙げられる言葉です。
先ほど紹介した『論語』の中の孔子の言葉「中庸の徳たるや、それ至るかな」は、「中庸は徳の最高指標である」ということです。
「中庸の徳」とは、「過不足なく、ちょど良いバランスで行動できるという人格的能力」ということになるでしょう。
かたよった考えに囚われず常に節度を守って考え、行動することは最高の徳であるということですね。
具体的にこのようなことをしなさいという教えではありませんが、あらゆる人に当てはまる普遍的な教えです。
現代でも色々な人がこの「中庸の徳」について考え、言及していますので調べてみるとためになりますよ。
「中庸」の使い方
「中庸」は、儒教の中心的な概念です。
一般的に、私たちが日常で使う場合は、「極端にならず調和がとれていること」「かたよらず中正なこと」という意味で使います。
「中庸な○○」「中庸の○○」「中庸である」などと使います。
極端にかたよっておらず、それが道徳的にのぞましい」ということで、「中庸」であることがいい意味で使われます。
単にどっちつかずで中途半端という意味の「かたよらない」ではないので注意しましょう。
「道徳的に良い」「バランスがとれている」「穏当である」といった意味になります。
【例文】
- 何事も中庸が大切だ。
- 孔子は中庸を得た人物であったという。
- 食事においても中庸が肝心で、色々な栄養素をバランスよく取るのがいい。
- 彼は中庸な立場からアドバイスをくれる。
「中庸」の類義語
「中庸」の類義語には次のようなものがあります。
- 適度(ちょうど良い程度)
- 程よい(ちょうど良い程度だ)
- いい加減(適度)
- 中位(中程度の位)
- 中道(一方に偏らず穏やかなこと)
- 頃合い(適当な時期。ちょうどよい程度)
- 緩和(厳しさや激しさを和らげること)
- 中立(偏りがない状態)
- ニュートラル(どちらにも属さないこと。中立)
「中庸」の対義語
「中庸」の対義語には次のようなものがあります。
- 極端(普通の程度から大きく離れているさま)
- 極度(この上もない程度)
- 不当(道理に外れていること。正当・穏当でないこと)
- ラディカル(過激なさま。極端なさま)
まとめ
「中庸」についておわかりいただけたでしょうか。
普遍的で深い意味を持つ言葉です。
「中庸」はただのどっちつかずではなく、極端を避け穏当であることを表します。
最高の徳と言われる「中庸」。
少し難しいですが、知識としてぜひ知っておきたい言葉ですね。
ぜひ参考になさってくださいね。
最後までお読みくださりありがとうございました!