季語

「鬼やらい」の意味とは?いつの季語?神事では何をする?

「鬼やらい」の意味とは?いつの季語?神事では何をする?

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俳句や連歌を作るうえで欠かすことの出来ない季語。

様々な美しい表現が特徴的ですが今回はその中の1つ「鬼やらい」について解説していきます。

言葉によっては耳なじみがあるものや、中には全く聞いたことが無いものもあるのではないでしょうか。

今回は改めて「鬼やらい」について基本的な意味はもちろん、いつの季語なの?といった疑問にもお答えしていきます。

「鬼やらい」の意味と読み方

「鬼やらい」とは、日本で平安時代から行われていた神事を指す言葉です。

「おにやらい」と読み、別名を「追儺(ついな)」とも言います。

「鬼は外、福は内」の掛け声でおなじみの節分のルーツとも言われています。

平安時代には毎年大みそかに行われていた儀式で人々を苦しめる疫病など「悪いもの」全般追い払う儀式だったんですよ。

この儀式には年の神様が交代するタイミングに合わせて入り込もうとする鬼を追い払うという意味もあったんだそうです。

また人々の間で疫病が流行してしまった時にそれを鎮めるという意味を持つ儀式でもあったと言われています。

その神事が次第に民間へと流れていき、現在のような豆まきを主とする行事になったんですね。

「鬼やらい」はいつの季語?

「鬼やらい」は俳句の世界において「冬」の季語として使われています。

「鬼やらい」と同様の意味を持つ「追儺」も同じく冬の季語なんですよ。

またどちらも冬の中も終わりごろを指す「晩冬」の季語となっています。

「鬼やらい」の神事では何をするの?

京都にある石清水八幡宮では毎年節分の前の日曜日に「鬼やらい神事」が執り行われています。

東北・東南・西北・西南の四方と今年の恵方の5か所を弓で射貫き、「鬼やろう」という掛け声でその5か所を剣で打ちます。

その後は「鬼やらい人」とその年の年男・年女が境内に出現した鬼に「福豆」をぶつけて退散させます。

鬼の出現に泣き始める子ども達も、豆をぶつけられて退散する姿に次第に元気を取り戻し、ニコニコ笑顔になるんだとか。

最後には観覧客に福豆が振る舞われるんですよ。

まとめ

季語は俳句だだけではなく、手紙やビジネス文書などの時候の挨拶でも多く使われており数多く覚えて損はありません。

春夏秋冬、日本を美しく彩る四季ならではの情景を繊細かつとても美しく表現した言葉ばかりなので眺めているだけでもとても楽しいんですよ。

季語と実際の景色を見比べる、などという楽しみ方も面白いですね。

日本にしかない「季語」という言葉で季節の移り変わりをより詳しく感じてみてはいかがでしょうか。

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