※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
「砂をかむような思い」
このように使う「砂をかむ」という言葉があります。
自分では使ったことがないという人もいるかもしれませんが、小説などでもよく出てくる慣用句です。
ですが、この「砂をかむよう」という言葉は、文化庁の調査によると、半数以上の人が本来の意味とは違う意味で使っていることがわかったのです。
今までどんな意味で「砂をかむよう」を理解していましたか?
本来の意味を知らない人も多そうなので、ぜひこの機会に確認しておきましょう。
今回は、「砂をかむよう」の意味を間違って使ってない?本来の使い方は?【例文つき】についてご説明いたします!
「砂をかむよう」の意味
「砂をかむよう」は「味わいやおもしろみが全くないたとえ」です。
本当に地面の砂を噛んだことのある人は少ないかもしれませんが(笑)、美味しい味がするわけはないですよね。
まるで砂を噛んでいるように味がしない、ということで「砂をかむよう」は「味わいがない」という意味で使われるようになりました。
物事に味わいがなく、面白くない、興味がわかないというようなことを例えた慣用句です。
「砂をかむよう」の誤用
「砂をかむよう」は「味わいや面白みがない」ということです。
ですが、文化庁の調査によると5割以上の人が誤った意味で使っていることがわかりました。
無味乾燥でつまらない様子……32.1%
悔しくてたまらない様子……56.9%
というわけで、「砂をかむよう」を本来の意味ではなく「悔しくてたまらない様子」という本来の意味ではない意味で使っている人が半数以上なんですね。
半数以上が使っているということは、もはや誤用とは言えないかもしれません。
おそらく「臍を噛む(後悔する、悔やむ)」とか「苦虫を噛み潰したような(苦々しい顔をする様子)」などとイメージが混ざったのではないでしょうか。
実際、アサリなどを食べていてジャリっと砂を噛んでしまったときはイライラするものなので(笑)、こちらの方が砂を噛んだ時の反応としては合っているような気もしませんか?
言葉は時代とともに変化するものですから、辞書的な「砂をかむよう」の意味もこれから変わっていくのかもしれませんね。
「砂をかむよう」の本来の使い方
「砂をかむよう」は、本来は「味わいや面白みが全くない」という意味で使います。
もちろん実際に食事をして、何かの原因によりその味が感じられないような時にも使います。
ですが、本当に食べて味のするようなものだけでなく、「砂をかむような毎日」「砂をかむような人生」というような使い方もします。
むしろそちらの方が使う機会が多いかもしれません。
面白みのない毎日、つまらない人生という感じで、「砂をかむよう」は物事のむなしさ、つまらなさを表す言葉です。
例文で確認しておきましょう。
【例文】
- 夏バテで食欲がなく、大好きなハンバーグも砂をかむような思いで食べた。
- 砂をかむような味気ない食事が終わった。
- 毎日砂をかむような気持ちで通勤している。
- 砂をかむような虚しい日々が過ぎていった。
- 毎日同じことの繰り返しで砂をかむような生活だ。
「砂をかむよう」の言い換え
「砂をかむよう」は「味わいや面白みがない」ということでしたね。
類義語、言い換え表現には次のようなものがあります。
- おもしろくもなんともない
- つまらない(おもしろくない。興味をひかない)
- 味もそっけもない(潤いやおもしろみがまったくないこと)
- 無味乾燥(なんの面白みも味わいもないさま)
- 味気ない(面白みや魅力がなくつまらない)
- 退屈な(あきあきして嫌気がさすこと)
このような言葉と大体同じ意味を表す「砂をかむよう」ですが、本来とは違った「悔しくてたまらない」という意味で使っている人も多い言葉でしたよね。
「砂をかむようだ」と言っても、相手はどちらの意味で受け取るかわかりません。
場合によっては誤解を招いて、失礼な印象になったり怒らせたりしないとも限りません。
そうなときはこうした言葉に言い換えるのもよいですね。
ぜひいくつか覚えておきましょう。
まとめ
「砂をかむよう」は「味わいやおもしろみがない」という、つまらない、虚しいことを表す言葉でしたね。
意外に思った人も多いことと思います。
違う意味で使っている人が過半数だとは言え、ぜひ本来の正しい意味をしっかり理解して使っていきたいですね。
最後までお読みくださりありがとうございました!