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「日本三大怨霊」と聞いて一体だれを思い浮かべるでしょうか。
一番有名なのはその祟りも強いと恐れられている平将門公ではないかと思います。
今回は日本三大怨霊について、誰のことなのかはもちろん、祀る神社はどこにあるのかまでそれぞれ詳しくご説明いたします。
日本三大怨霊 ➀菅原道真
今では学問の神様としてその名が知られている菅原道真ですがなんと三大怨霊の1人なんですよ。
その生い立ちから不幸続きだった菅原道真は、醍醐天皇を退ける企みをしていると噂を流されてしまいます。
その噂を信じた醍醐天皇により流刑とされ、流刑先では誰にでもできるような閑職へと追いやられてしまいました。
その流刑から2年後に菅原道真はその生涯を終えました。
その後朝廷の清涼殿と呼ばれる建物が燃えたり、天皇に近しい者が次々と亡くなった事から人々はこれを「菅原道真の祟り」だと恐れ、怨霊として認識されるようになりました。
現在でもその祟りを鎮めるため、100年単位という長いスパンではありますが祭事が行われているんですよ。
菅原道真が祀られている神社
菅原道真を祀る神社は全国で1万2千社ありますが、その総本社が京都にある「北野天満宮」と福岡にある「太宰府天満宮」です。
京都は修学旅行などで受験生達が訪れる場所としても人気ですよね。
文学・学問に秀でた菅原道真がお祀りされている神社で合格祈願はもちろん、文化芸能などにもご利益があるとされているので表現者達からも人気の神社なんですよ。
日本三大怨霊 ➁平将門
平将門とは、朝廷の理不尽な支配に苦しみ、その日食べる物にも苦しんでいる農民を救おうと「平将門の乱」を起こした人物です。
当時政治の中心であった京から関東を切り離し、独自の国を作ろうとしたんですね。
自らを「新皇」と名乗り関東の独立を強行したことで、朝廷から完全に敵と見なされてしまった平将門。
「将門を討った者は貴族にする」と全国に指名手配のように朝廷が呼びかけ、その呼びかけに応じた藤原秀郷と平貞盛の2900の軍勢にわずか400の軍勢で果敢に立ち向かいましたが940年に戦死しました。
罪人としてさらし首にされた将門ですが、無念の想いが強く残っており、何か月にも渡ってその首は腐ることなく夜ごと「胴体はどこか。首と胴体を繋いでもう一度戦おう」と叫んでいたそうです。
平将門が祀られている神社
東京都千代田区にある「神田明神」にて平将門公がお祀りされています。
14世紀初頭に流行した疫病が「平将門の祟り」と恐れられており、その祟りを鎮めるために神田明神が将門の霊を供養したところ疫病が沈静化したという歴史から、1309年に祭神として祀られました。
明治7年には一度祭神から外されてしまいましたが、大河ドラマの放映などを受け昭和59年に再び祭神として祀られるようになりました。
出世に高いご利益があるとしてスーツ姿の人々が多く参拝する神社でもあるんですよ。
日本三大怨霊 ➂崇徳天皇
1119年7月から1164年9月まで天皇として即位していた崇徳天皇も三大怨霊の1人とされています。
保元の乱で敗れ、流刑となった地において自身の血でしたためた文書を京へと送りますが無下に却下されたことでその怒りと恨みのパワーは増幅します。
仏達に向けての願文を、舌を噛み切った血で書いた後、「死んでも天下を祟ってやる。国家を悩ませてやる」と宣言し、髪や爪を一切切ることなく天狗のような姿になり、その生涯を46歳で終えています。
自分の存在を無下にし、流刑の判断を下した朝廷への恨みが強く残り、死してなお朝廷を呪う怨霊へと変化したと言われています。
崇徳天皇が祀られている神社
崇徳天皇は福岡県朝倉市の「白峯神社」で祀られています。
悪縁切りに強いご利益があるとされており、生前の崇徳天皇のように人との縁で悩んでいる人が多く参拝する神社となっています。
「白峯神社」は「美奈宜神社」の境内に建立されており、美奈宜神社には縁結びの神様である大国主大神が祀られているので、悪縁を切ったあとに良縁を願う事が出来るんですよ。
まとめ
平将門公だけではなく日本には三大怨霊が存在しています。
将門公の首塚はパワースポットとしても知られており、数多くの参拝客が今も勇気を振り絞って足を運んでいるそうですよ。