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お盆の時期になると、色々な風習が各地で行われます。
その一つが「精霊流し」です。
ここでは、精霊流しの意味や由来、2025年はいつ行われるのか、灯篭流しとの違いなどを取り上げて解説させていただきます。
有名な観光場所もご紹介いたしますので、ぜひ最後までお付き合いください。
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「灯篭流し」の意味とは?流した後はどうしてるの?
精霊流しとは?
精霊流し(しょうろうながし)とは、藁や木、板でできた船を盆提灯で飾ったりお供物を乗せ、故人をあの世へ送り出すという先祖供養のお盆の伝統行事です。
長崎県、そして熊本県の一部や佐賀市で行われています。
現在は観光としても、大変有名になりましたね。
かつては実際に川や海に船を流していたのですが、現在は環境汚染の影響から、船を曳いて街を練り歩いた後「流し場」という終着点に運ぶというかたちが多くの地域でとられています。
精霊流しの船を用意するのは初盆を迎える遺族であり、船の素材や雰囲気、大きさは各家庭によって様々です。
船にはその年のお盆前に亡くなった故人の趣味や、家族からの想いを表現したもので装飾がほどこされており、家紋や屋号、町名も記されていますから、他の地域では見られない特徴的な船を見ることができます。
また合同で船を出す「もやい船」というものもあり、町内や葬儀会社、病院などの寄り合いで船を作ります。
近年では、遊び心を取り入れた面白い形の「変わり船」も人気となっています。
街中船をで曳いて行列をなし練り歩くその姿は、まるでお神輿を連想させます。
また鐘の音や掛け声、爆竹が鳴り響くので賑やかなお盆となり、お祭りに似た雰囲気があります。
「彩舟流し(さいしゅうながし)」の伝来
精霊流しの由来の一つに、中国の「彩舟流し(さいしゅうながし)」の伝来があります。
精霊流しは、昔の長崎県に住んでいた中国人の文化である「彩舟流し」に影響を受け、今のかたちとなったと言われているのです。
どういうことかと言いますと、かつて江戸時代の日本では鎖国という政策をとり、中国とオランダ以外の交易を幕府が禁止していました。
その限られた交易をできる貿易港が長崎だったわけです。
ですから、長崎には中国人が住んでいた唐人屋敷がありました。
当時の中国人は、旅の間に亡くなった中国人、そし日本に着いてから亡くなった中国人に対し、彼らの魂が中国へ帰れるように船を作り、魔除けの意味を込めて爆竹を鳴らして供養をしました。
これが今の長崎を主とした精霊流しのスタイルとなったと言われているのです。
確かに中国ではお正月にあたる春節にも爆竹を鳴らしますから、精霊流しが中国の影響を受けているということについては、信憑性のある由来だと思います。
2025年の精霊流しはいつ?
長崎県
精霊流しは、毎年8月15日、長崎県長崎市内で行われています。
熊本県
また、隣県の熊本県の一部地域としては、毎年8月15日熊本市 川尻町 で行われています。
佐賀県
佐賀県佐賀市でも行われており、毎年8月15日 嘉瀬川河川敷 みどり橋付近 で行われています。
精霊流しと灯籠流しの特徴と違い3つ
1、精霊流し=船(長崎県、熊本県や佐賀県の一部の地域) 、灯籠流し=灯籠(全国区)
2、精霊流しは大きな船や爆竹、掛け声、鐘などで賑やかな雰囲気
3、精霊流しの船を用意するのは初盆を迎える家庭、灯籠流しは地域によって初盆の家庭や毎年行う家庭など様々
上記にまとめましたがもっとわかりやすく言いますと、基本的には精霊流しは灯籠流しのうちの一種だとお考えいただければ良いと思います。
なぜならどちらも、故人をあの世に無事に送り返すというお盆の先祖供養のために行われるものだからです。
ちなみに灯籠流しとは、全国区で行われる共通のお盆の行事で、先祖供養の送り火の種類の一つとされています。
全国区で共通と言っても地域差はやはりあるのですが、大抵は川や海に火を灯した灯籠を浮かべて流します。
灯籠流しは、花火大会や夏祭りなどと合同イベントとして行われることも少なくありません。
環境汚染の問題もあるので、灯籠流しも精霊流し同様に、流してもすぐに回収するよう気を付ける地域も多くなっています。
まとめ
精霊流しは、主に長崎県と、熊本県・佐賀県の一部の地域で行われるお盆の伝統行事です。
派手で個性的な船に装飾やお供物をし、掛け声や鐘の音、爆竹と共に船を曳いて街を練り歩くお祭りのような雰囲気があります。
毎年8月15日に行われており、故人を供養するという目的では、精霊流しは灯籠流しの一種のようなものだと言えるでしょう。
お盆の時期、九州地方へ用事がある方はぜひ行ってみてくださいね。