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「慟哭」という言葉をご存知でしょうか。
映画や音楽のタイトル、歌詞、それから小説の中などによく使われる言葉です。
高校の教科書でおなじみの名作、中島敦の『山月記』は難しい言葉が使われていることでも有名(?)ですが、ここにも「慟哭」が出てきます。
かなりドラマチックな印象の「慟哭」ですが、正確にはどういう意味の言葉なのでしょうか。
似たような言葉「号泣」との違いなども合わせて確認していきましょう。
今回は、「慟哭」の意味と使い方!「号泣」との違いは?【山月記】についてご説明いたします!
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「慟哭」の意味
「慟哭」は「声をあげて激しく嘆き泣くこと」という意味です。
「どうこく」と読みます。
論語に「子之を哭して慟す」という一節があり、孔子が弟子の顔淵の死に際して慟哭したということで、「慟哭」はかなり激しい悲しみを表すことがわかります。
「慟」は珍しい漢字で、「慟哭」以外ではまずお目にかからないと思います。
「なげく」「大声で泣き悲しむ」という意味があります。
「哭」の方も「大声で泣く」という意味で、「号哭」「痛哭」などの熟語もありますが、いずれも「大声で泣く」「大声で嘆き悲しむ」意味になります。
この「慟」と「哭」ですから、似た意味の漢字を二つ重ねているわけですね。
「慟哭」は悲しみのあまり声をあげて泣くさまを表すのです。
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「慟哭」の使い方
「慟哭」は「大声をあげて泣き悲しむ」という意味で使います。
「慟哭する」「慟哭の声を上げる」などといった使い方になります。
例文で確認しておきましょう。
【例文】
- 彼女は残された手紙を読んで慟哭した。
- 親友の突然の死に慟哭する。
- 彼は涙をこらえきれず、身を震わして慟哭の声をあげた。
- あの映画の中で、彼女が慟哭する場面の演技は圧倒的な迫力だった。
「号泣」との違いは?
「慟哭」は声をあげて泣きますよね。
「号泣」と似ていますが、どう違うのでしょうか。
「慟哭」と「号泣」の違いは
- 「慟哭」は「悲しみのあまり声をあげて激しく泣くこと」
- 「号泣」は「大声をあげて泣くこと」
となります。
つまり、「慟哭」は嘆き悲しんで泣くことですが、「号泣」は声をあげて泣くこと全般を指すので、悲しみの涙に限らず幅広く使えるのです。
嬉しくて号泣する、感動して号泣するということもあるわけです。
【例文】
- 彼は恩師の突然の訃報に慟哭した。
- 彼は憧れのスターに会って嬉しさのあまり号泣した。
『山月記』における「慟哭」
中島敦の短編小説『山月記』にも「慟哭」が出てきます。
言終って、叢中から慟哭の声が聞えた。袁もまた涙を泛べ、欣んで李徴の意に副いたい旨を答えた。(「青空文庫」より抜粋)
現代語に訳すと
言い終わって、草むらの中から慟哭の声が聞こえた。袁傪もまた涙を浮かべ、喜んで李徴の希望通りにしたいということを答えた。
となります。
これは『山月記』の終わり近くの場面です。
詩人になる夢破れ虎になってしまった李徴が、自分が虎になった理由を色々と自嘲的に述べ、また自作の詩を袁傪に記録してくれるよう頼みます。
それから、最後に袁傪に家族のことを頼みます。
妻子には自分は死んだと伝えて欲しい、それから彼らが飢えることがないように面倒を見てやって欲しいというのです。
そして李徴は「慟哭」します。
袁傪が頼みを聞いてくれてホッとしたのでしょうか。
これで本当にもう家族とは二度と会えないという悲しみが込み上げたのでしょうか。
改めて自分の欠点を見つめ直し強く後悔したのでしょうか。
虎になっても詩への思いを断ち切れない自分にやりきれなくなったのでしょうか。
色々な読み取り方ができると思いますが、単に「泣いた」などではなく「慟哭」という語を使うことで、李徴の感情の高ぶりの激しさ、悲しみが強く表現されていますね。
「慟哭」の類義語
「慟哭」の類義語には次のようなものがあります。
- 号泣(大声をあげて泣くこと)
- 哀哭(声をあげて泣き悲しむこと)
- 泣き叫ぶ(大声で泣く)
「慟哭」の対義語
「慟哭」の対義語は「哄笑」です。
「哄笑」は「大口を開けて笑うこと」という意味です。
「こうしょう」と読みます。
笑いが止まらないような、一人で高笑いするといった意味の言葉です。
まとめ
「慟哭」は悲しみのあまり声をあげて泣くことを表す言葉でした。
感動の涙や嬉し泣きの時には使いません。
悲しい場面で使うような言葉ですが、強い印象を与える言葉なので、小説やテレビなどでもよく効果的に用いられています。
ぜひ意味を理解して正しく使っていきましょう。
最後までお読みくださりありがとうございました!