※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
「日和見」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
ビジネスシーンや、ニュースや新聞などでも使われることがある言葉です。
「日和見主義」などの形で使われています。
意味をよく知らないという人もいるかもしれませんが、この「日和見」はあまり良い意味では使われない言葉なので注意が必要です。
今回は、「日和見」の意味と使い方!「日和見主義」とは?【類義語・例文】についてご説明いたします!
「日和見」の意味
「日和見」は「天気模様をうかがうこと」「ことの成り行きをうかがって去就を決定しないこと」という意味です。
「ひよりみ」と読みます。
「ひわみ」などの読み間違いに注意してください。
「日和(ひより)」とは、天候や空模様という意味の言葉です。
「行楽日和」とか「お花見日和」などと言いますよね。
江戸時代に、空模様を見て天気を予想したり風向きなどをはかったりすることを「日和見」と言いました。
「天気を見る」というところから転じて、「日和見」は「物事の状況を見る、そして自分にとって都合のいいほうを決める」という意味で使われるようになったのです。
「日和見」は有利な方につくために形勢をうかがうこと、また成り行きをうかがって態度をはっきりさせないことを表す言葉です。
「日和見」の使い方
「日和見」は成り行きをうかがって態度をはっきりさせないことや、形勢をみて自分の有利になる方につこうとすることを指します。
先にはっきり決めないで、状況を見てから自分にとってよい方につこうとするということですから、卑怯であるというネガティブな意味で使われます。
もともとの「日和見」は、漁業や農業などの仕事のために天候を予測するという意味ですから、悪い意味ではありません。
ですが、ほとんどの場合はこのようなずるい態度をとることを指して使います。
まず良い意味では使いませんから、「日和見していますね!」などと本人に向かって使わない方が良い言葉です。
【例文】
- 彼はいつも日和見して上手く世渡りしている。
- とりあえず日和見を決め込んでしばらく様子を見よう。
- 彼女の日和見的な態度はあまりよろしくない。
- 日和見でどちらにつくか考えるつもりだ。
「日和見主義」とは?
「日和見」は多く「日和見主義」という言葉として使われます。
「日和見主義」は「形勢を見て有利な方につこうとする態度をとること」という意味です。
「ひよりみしゅぎ」と読みます。
「日和見」しようという考えかたのことを「日和見主義」というわけですね。
「日和見」ばかりする人のことを「日和見主義者」とも言います。
これもはっきり自分の考えがあるわけではなく、その時々で自分に有利になる側につくということで、ずるいやり方として批判的な意味で使われます。
【例文】
- 彼は日和見主義者だ。
- 彼女は社内で一番の日和見主義と言われている。
- 我が国の日和見主義を非難する声が上がっている。
「日和見」の類義語
「日和見」や「日和見主義」の類義語には次のようなものがあります。
- 様子見(状況に変化があるまで何もせずに静観すること)
- 御都合主義(その場の都合や成り行きでどのようにでも態度を変えること)
- 利己主義(自分の利益を重視する考え方)
- オポチュニズム(定見を持たず大勢に追従して立場を変えること)
「日和見主義」を表す表現には次のようなものもあります。
- 風見鶏(鶏をかたどった風向計より)
- コウモリ(イソップ童話の「卑怯なコウモリ」より)
- 洞ヶ峠(明智光秀と羽柴秀吉による山崎の戦いで、筒井順慶が洞ヶ峠に布陣して、有利な方につこうとした故事による)
「日和見」の対義語
「日和見」の対義語は特にありません。
静観することの反対で、「攻撃的」とか「積極的」などが反対の意味になることもあるでしょう。
まとめ
「日和見」ははっきりと態度を決めずに物事の動向を静観しておいて、後から自分の有利な方につくということでした。
卑怯な態度であるとうことで、批判的な文脈で使われることが多い言葉です。
「日和見」はあまりよくないかもしれませんが、ビジネスシーンでも使われることがある言葉ですので、いざという時によく理解できるように覚えておきましょう。
最後までお読みくださりありがとうございました!