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「達観」という言葉を聞いた事があるでしょうか?
よく、最近の若者を指して、「悟り世代」とか「達観している」と表現する場合があります。
また、「達観している人」というように、人の性格や印象を説明する際にも使われることがありますよね。
でも、「達観」とは、具体的にどのような意味を持っているのでしょうか?
とても気になりますよね!
今回は、「達観」の意味と使い方!「達観してる人」について、ご説明致します!
「達観」の意味と使い方
「達観(たっかん)」の意味を調べてみました。
一つ目は、「広く大きな見通しをもっていること。遠い将来の情勢を見通すこと」
二つ目は、「目先のことや細かなことに迷わされず、真理・道理を悟ること。俗事を超越し、さとりの境地で物事にのぞむこと」
という意味があります。
「世界情勢を達観する」というのは、一つ目の「広く大きな見通しをもっていること」の意味で使われています。
これは、「俯瞰する」と似た使われ方ですね。
次に、「人生を達観する」というのは、二つ目の「悟りの境地で物事にのぞむ」という意味になります。
こちらの方が 一般的に「達観」の意味で使われていると思います。
「悟っている」「超越している」などと同じように使われています。
「達観」に似た言葉の「諦観(ていかん)」
「達観」によく似た言葉で「諦観(ていかん)」があります。
これは、「本質を明らかに見て取ること」や「悟りの境地にあって物事をみること」という意味があります。
ただ、「諦観」は漢字に「諦める」が使われているように、「諦めて、悟る」という意味合いが強くなります。
なので、「絶望を受け入れる」とか「観念する」という意味でも使われているようです。
「達観」と「諦観」を上手く使い分けてみましょう。
「達観している人」とは?
「達観」は、
「あの人は、 生死を達観している 」
「○○さんは、人生を達観している人だ」
というように、「達観している人」と使われることが多いですよね。
でも、「達観している人」とは、具体的にどんな人の事を言うのでしょうか?
調べた結果、はっきりとした定義はありませんでした。
しかし、だいたいのニュアンスとしては以下が挙げられると思います。
- 悟りを得た人
- 少しの事で動じない人
- 冷静な人
- 仙人のような人
- 大人っぽい人
- 客観的に物事を見る人
どれもどちらかと言えば、良いイメージですよね。
しかし、「達観している人」という言葉には、どこか皮肉めいたニュアンスもありますよね。
「あの人はやけに達観している」などと言うと、特に皮肉な印象を受けます。
これは、冷静な人や、悟りきった人などを、少し冷やかすような意味でも使われているからのようです。
あまり親しくない人に「達観している人」と言うと、誤解を生む可能性があるので、注意しましょう。
「達観」の例文
- 私は先輩のように、人生をそこまで達観できない。
- 最近の若者は、どこか諦めたような達観した人が多い。
- 僕の友人は、時おり妙に達観したような発言をする癖がある。
- 彼はまだ幼いにもかかわらず、達観の境地に至っているように感じた。
- 国際情勢を達観すると、実は対話と共存への傾向を強めていると言って良い。
「達観」の類語
- 悟り
- 諦観
- 俯瞰
- 通覧
- 解脱
- 超越
「達観」の反対語は?
「達観」の反対語は何でしょうか?
それは「執着」だと言えます。
「達観」が何物にもとらわれず、動じない事を表すのに対し、「執着」は一つの事にこだわる様子を表しています。
まとめ
いかがでしたか?
「達観」という言葉の意味を調べてみました。
人生を悟っていたり、少しの事で動じない人、そんな人になってみたいものです。
「達観」と言うと、遠いイメージがありますが、最近「悟り世代」という言葉もよく耳しますよね。
最近の若者が「ゆとり世代」から変化し、「悟り世代」とか「達観している」と言われる理由は、一般的に欲が無く、堅実で高望みしない傾向があるからだそうです。
いずれ、「達観」しているのが普通になる時代も来るかもしれませんね。
宜しければ参考にしてみてください。