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6月3日は「雲仙普賢岳祈りの日(いのりの日)」です。

長崎県の島原半島にそびえる雲仙・普賢岳。

今回は、「雲仙普賢岳祈りの日」の由来と、1991年に発生した大火砕流の悲劇、そして災害から得られた教訓について解説いたします。

雲仙普賢岳祈りの日とは(6月3日)

「雲仙普賢岳祈りの日(いのりの日)」は、毎年6月3日です。

1991年(平成3年)6月3日に発生した雲仙・普賢岳の大火砕流による犠牲者を追悼し、災害の記憶を後世に伝えるために、地元である長崎県島原市が中心となって制定した記念日です。

この日は、噴火災害で犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、自然災害の恐ろしさを再認識し、防災への誓いを新たにする日として位置づけられています。

1991年6月3日・大火砕流の悲劇

雲仙・普賢岳は、1990年(平成2年)11月に約200年ぶりに噴火活動を再開しました。

翌1991年5月には山頂に溶岩ドームが出現し、崩落による小規模な火砕流が頻発するようになりました。

そして運命の1991年6月3日、午後4時8分。

それまでとは比較にならない規模の大火砕流が発生しました。

数百度という高温の火山灰や岩塊が、時速100キロを超える猛スピードで山の斜面を流れ下り、島原市の水無川流域を飲み込みました。

この大火砕流により、避難勧告地域内で警戒にあたっていた地元の消防団員や警察官、取材中の報道関係者(テレビカメラマンや新聞記者)、そして彼らを案内していたタクシー運転手など、計43名が死亡・行方不明となる大惨事となりました。

火山災害としては戦後最大級の悲劇であり、被害額は約2300億円に上りました。

防災への取り組み

この大惨事は、日本の火山防災のあり方に大きな課題を突きつけました。

当時、火砕流という現象の恐ろしさが一般には十分に認知されておらず、危険な地域(通称「定点」と呼ばれた撮影ポイントなど)に多くの人が留まっていたことが被害を拡大させました。

この教訓から、現在では火山活動の監視体制が大幅に強化され、危険区域への立ち入り規制や避難勧告の基準が厳格化されています。

また、無人化施工技術(遠隔操作による建設機械の操縦)を用いた砂防ダムの建設など、二次災害を防ぐための技術開発も大きく進展しました。

まとめ

毎年6月3日の「祈りの日」には、島原復興アリーナなどで追悼式が執り行われます。

大火砕流が発生した午後4時8分にはサイレンが鳴らされ、市民による黙祷が捧げられます。

また、夜には犠牲者を追悼する数千個の灯籠に火が灯され、静かな祈りに包まれます。

災害の記憶を風化させることなく、次の世代へと語り継ぎ、日頃からの防災意識を高める一日にしたいものです。

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